先日の記事では、最近の若者が成果主義より年功序列を望み、FIREなどよりも定年まで安定的に生活することを望むという、自分としては衝撃的だったYahooニュース記事について書きました。
昨日大学時代の友人たちと飲みに行った際にも、同じような話になりましたが、驚くべきことに、そこでも私含む4人の参加者のうち、2.5人ぐらいが、社会の歯車であり続けることを望む、というような感じでした。
曰く、頭では「自分の理想の人生を生きるためには、社会(会社)の歯車であり続けるのは望ましくない」と理解しながらも、一方で「考えることを放棄して、職場で求められる不毛な作業を続けることで、大きな障壁にあたることなく人生を終えられる」というような意見だったと理解しました。。
「そうして不毛な作業をし続けた人生が何事もなく終わることで何が残るんだ」という問いについては、そこなんだよなぁ、というような回答、、、
それ以上話しているのが少しつらくなり、私も別に全員にFIREを押し売りするつもりもなかったので、そこでこの話は切り上げました。
自分がやりたいことをやって生きる(私の場合はFIREとトレーナー)という選択肢から目をそらし、気づかないふりをして、自ら社会の歯車になろうとする人が多いという事を改めて感じました。
そしてそうした人たちからすると、本気でFIREであったりトレーナーへの転職を目指して動いている私のような人間がいることが、少し目障りかもしれないという事も感じました。
こういった話題は人によっては迷惑になり得るので、相手を選んで話すべきだという事を学んだ、少し寂しい飲み会でした。。。
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